大判例

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東京高等裁判所 昭和50年(ツ)25号 判決

上告人

吉田広子

右訴訟代理人

宇津泰親

被上告人

小田原市

右代表者市長

中井一郎

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告人訴訟代理人は、原判決を破棄し相当の裁判を求めるというのであり、上告理由は別紙のとおりである。

原審が適法に確定した事実によると、被上告人小田原市は、昭和四三年四月一日施行の小田原市交通災害共済条例により、交通事故に逢つた市民に死傷の程度に応じ定額の見舞金を給付する共済制度をもうけ、定額の掛金を支払つた市民が掛金納付年度(毎年四月一日から一年)内に交通事故に逢い、本人(または遺族)が交通事故の日から一年以内に請求した場合に右見舞金が交付され、市民の掛金はすべて共済見舞金にあてられるが、そのほか人件費、事務費などは被上告人の一般費をもつて支出することとし、被上告人は右条例を小田原市公告式条例によつて所定の掲示場に公告して適式に公布したものであるところ、上告人は昭和四三年四月一日に右共済制度掛金として条例の定める金三〇〇円を納付したところ、昭和四四年一月二五日交通事故に逢い治療一年を要する傷害を受けたが、請求期間が一年であることを知らず、昭和四五年一一月末ころにいたり被上告人に対し右見舞金として条例の定める金二〇万円の支払を求めたが、被上告人は期間経過後の請求としてこれを却下した。というのである。

右小田原市の交通災害共済条例による共済制度は、交通事故に逢つた市民(および遺族)に対し定額の見舞金を給付しその生活を扶助して生活の安定と福祉の増進を図ることを目的とし、地方公共団体としての市のする福祉行政の一環としての制度であり、交通事故による損害保障自体を目的とする損害保険制度とは、その制度目的を異にしているものと解するのが相当である。見舞金額が比較的少額に定額化されており、掛金はすべて見舞金にあてられ、その人件費、事務費は一般の行政予算の中から支出されていることなどからもそのことが明らかといえる。したがつて、市民がこれに加入して掛金を支払うのは、右の共済制度の適用を求める趣旨であり、損害保険のような私経済作用としての契約をしたものではなく、市民は公布された条例に基づく内容を、自らの努力で知つた上、その適用を申請することを要し、条例が適式に公布されている以上、一般市民はこれを知る機会が与えられたことになり、法律上当然にこれを知れるものとされ、その不知をもつて行政庁に対抗することは許されない。それ故、被上告人が請求期間を定めた条例を適式に公布した後、上告人がその請求期間を知らずに加入し、掛金を納付した場合でも、被上告人は上告人に対し請求期間を個別に知らせることを要するものではない。上告人が請求期間を徒過したことにつき特段の事情の認められない本件では、その見舞金請求権を失つたのは、上告人の不注意によるものというべきである。なるほど加入者に与えられる加入者証に請求期間の定めを記載し、もしくは掛金納付の際に請求期間を告げるなどして加入者に個別にその認識を得しめるよう配慮することは望ましいであろう。しかしそれをしなかつたとしても、それは結局十分親切でなかつたというに止まり、これをもつて過失とするには当らないというほかない。これと同一の原判決の判断は是認でき、前記条例の解釈に誤りはなく、また、信義則違反の問題を生ずる余地はない。所論の上告理由は独自の見解で採用し難い。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(浅沼武 加藤宏 高木積夫)

上告理由書

原判決理由第三項は、本件共済制度は、適式に公示された本件条例により、加入者を、特種の公法的付合契約として拘束すると解するのが相当である。

そうとすれば、本件共済条例は、小田原市公告式条例によつて適式に公告された以上、その共済見舞金請求期間についても、控訴人を規律すべき拘束力を有し、控訴人は右規定の内容の不知をもつて右拘束力を回避することはできないものといわざるを得ない、と判示した。

さらに原判決理由第四項において、もとより、本件共済制度の行政目的を達成するために、本件共済条例をその地域住民に対して適式に公告するほか、さらに適切な広報活動により右制度の趣旨、内容を周知徹底せしめることは被控訴人の行政上の責務というべきであるが、本件共済制度の加入者側個別に対し、別にあらためて説明・告知すべき法律上の義務があるものと解することはできない、と判示した。

そして本件共済見舞金請求権の喪失と小田原市の無過失を認定した。

しかし、本件共済条例による本件共済制度について「特殊の公法的付合契約」と規定し、そこから直ちに原判決のいう拘束力が生ずると解する原判決の立場は、「知らしむべからず、依らしむべし」という風な単純なる行政行為の観念で貫かれているといわざるを得ない。すなわち本件共済制度を一種の公法上の契約関係と規定することについては上告人も合理性を有すると解するものであるが、公権力の発動としてなされる行政行為に関する原則が公法上の契約にそのまま適用される余地はないものと解するべきである(参照、田中二郎、行政法総論、法律学全集二五〇頁)。

地方公共団体が本件共済事業を経営する場合に、これを公法上の契約と解するにしても、当事者の意思の合致である点においては私法上の契約と本質を同じくするものである。ただ公共的性格を有する契約であるが故に私法規定がそのまま適用されるとみるべきではなく公共の福祉の見地から特別の考え方をしなければならないだけであると考えられる。

国又は公共団体の管理し経営する事業を一体として営造物と解し、これに私法の適用を排除しようとするのは、同様の法律関係は同一の法及び法原則によつて律せられるべきであるという一般原則に照らし、到底承認することができない。国又は公共団体の管理し経営する事業であつても、私人と同一の基礎に立つてこれを行う場合には、法律上特殊の取扱をなすべきことを明示している場合は別として、一般には私法の適用が認められるものと解すべきである。それは必ずしも営利事業である場合に限られるべきものではない。国又は公共団体の事業は、仮に利益を伴うものであつても、多かれ少かれ、公共の福祉に仕えることを目的とする公益的事業であつても、そのことのために当然に私法の適用が排除されるべきものではなく、普通の私法関係として私法の適用を認めることが公益の目的の達成に支障を来す限りにおいて特殊の法規が設けられ、これに反する私法規定の適用が排除されるにすぎないと解するのが正当であろう(田中二郎、前掲書二三七頁)。

本件に即して考えてみると、本件共済制度に上告人が加入するに当つて、見舞金請求期間が一年に限定され、これを経過するときは請求権が消滅するという事実は、共済制度において明らかに重要事項であるといわなければならない。そうすると被上告人は、上告人に対し右加入手続の際に右の請求権の行使期間について告知すべき、契約関係を支配する信義則上の義務があるとみるべきである。

本件共済制度への加入に際して、右共済制度が地方公共団体が経営するものであることを根拠に、私人(私企業)と加入当事者との間に適用されるべき信義則が排除される理由は全く見出しがたいのである。本件は、上告人が被上告人職員の過失により、本件共済見舞金請求権を失つた事案であるとみるべきが正当である。

そうすると、原判決が、「一種の公法的付合契約」の概念をもちいて、本件共済制度の当事者間に適用されるべき信義則を一切否定したことは、小田原市交通災害共済条例の解釈を誤り、また民法第一条第二項の信義誠実の法理に違背し、それはまた判決に明らかに影響を及ぼすものである。原判決は破棄されたうえさらに相当の判決がなされるべきである。

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